アンコールワットの時間感覚

アンコールワットの近くに10年以上も住んでいたのに
それはどこか、近くて遠い存在だった。
というのも、外国人は入場するのに有料で(カンボジア人は無料)
たとえ現地に住み働いていても、条件は観光客と同じ。
1日で20ドル、日本円にして2000円ちょっと。(今は37ドルに値上がり)
払えないこともないけど、わざわざ払って行かなくてもいいかな・・・という金額。
なので、日本から友人が来たとか、仕事で用があるという以外には
足を運ばない、ちょっと特別な場所だった。
(東京の人にとっての東京ディズニーランドのようなもの?)

時たま行くアンコールワットは、やっぱり、何度来てもいいなぁと思った。
1000年も前に造られた大寺院。緻密に計算された設計や
どうしてここまで!?と思わざるを得ない程の細かな彫刻。
電気も水道も、パソコンもクレーン車も何もない時代に
どれだけ心血注いで、どれほどの人を動員して時間をかけて造ったのか。
現代の感覚で言えば、不採算極まりない大事業、だろう。
今私たちは、毎日「どうやったら家事をラクできるか」とか
「節約できるか」とか「効率よく仕事できるか」とか「簡単に売上をあげられるか」とか
そんなことにアタマをひねらせて生きているけど
当時の人たちは、まったく違った価値観と時間感覚でを持っていたんだろうと感じる。

アンコール時代、王様たちが信仰したヒンドゥー教は、神々の世界。
王様たちは自分をヒンドゥーの神と重ね、自らが神となることで国を統治した。
神々の抱く壮大なスケール感覚は、私たちの理解を遥かに超える。
アンコールワットは30年かけて造られたそうだ。
もしかしたら、この30年という時間も、わたしたちが感じるものとは違うのかもしれない。

実は、アンコールワットに初めて行く前
そこには、アンコールワットしかないと思っていた。
そしたらどっこい、大小様々、あっちこっちに遺跡があって「ひょえー」と驚いた。
森、遺跡、森、遺跡、ときどき田んぼ・・・。1日びっしり観光したら
もう何がなんだかわからなくなってしまうほど、たくさん。
最後には遺跡が石の塊にしか見えなくなってしまった。
アンコールワットほどの規模ではないにしろ、これほどの遺跡が建てられたことは驚異的だ。
ちなみに、遺跡は人が住む「城」ではなく、
王が神様との交信をするための儀式の場であるものが多い。
つまり、「実用性」とはかけ離れたシロモノなのだ。

カンボジアは今猛烈なスピードで発展していっていて
私が住んだ10年ちょっとの間でも、随分と様相が変わった。
道はきれいに舗装され、街灯がついて夜も明るくなった。
おしゃれな店は増え、地元の女の子たちも垢抜けて、高級車もばんばん走るようになった。
1年も経てば街の景色が変わるくらい、そのスピードは速い。

それでも、時折カンボジア人の中に<悠久>を感じることがある。
日々の瑣末事に追われながらも、どこか遥かなる時を生きているようなかんじ。
南国ゆえの大らかさなのか、生来持ち合わせたものなのか。
神々の時間を生きていた、クメールの血がそうさせるのか。
ふと、そんなことを思ったりする。


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by toi-tom | 2018-03-27 13:00 | カンボジア | Comments(0)