ぎゅうぎゅう

私立の小学校を見にいった時のこと。
そんなに広くない敷地に、3階建ての大きな建物がどどんと建っていて
校庭は少しだけ。しかも石のタイルが敷きつめられている。
クラスをのぞいてみたら、これまた教室が狭い。
できるだけ部屋数を増やしたいのか、きちきちに区切られていて
教室は入口はひとつで細長い。窓も1ヶ所のみ、しかも小さく薄暗い。

ざっと見たところの生徒数は割りといるようだけど、まだ空き教室もあるよう。
それなら、1クラスの人数を絞って、窓ももう少し大きくして日当たりをよくしたら
子どもたちにとっても勉強しやすいだろうに…と、つい思ってしまったが
ある意味、とてもカンボジアらしいというか、彼らにとっては自然なスタイルなのかもしれない。

たとえば、土地の中にできるだけ沢山校舎を建てる、部屋数を増やす、というのは
沢山の生徒を呼び込みたい(つまりはお金を稼ぎたいという)
そのためにできるだけ大きな建物と、多くの部屋が必要、という学校側の事情だろう。
これは個人経営のアパートにも当てはまる。

窓が小さいのは、とにかく年中暑いし、太陽がさんさん差すので
家の中は薄暗いほうがいいのだ。実際窓が大きいと、室内が暑くなりすぎて大変。
そしてなぜかはわからないが、風通しはあまり気にしない。

部屋にぎゅうぎゅうに詰め込む…だが、カンボジア人は、この「ぎゅうぎゅう」に抵抗がないように見える。
彼らの生活を見ていると、ワンルームのアパートに、一家数人が暮らすとか当たり前なのだ。
(もちろん、裕福ではない層だが)
6畳くらいあれば、親子三代くらい普通に寝泊りしてしまう、ついでに親戚が来てもOK、くらいの勢い。
常に誰かの肌が触れ合っているような、パーソナルスペースのない生活が普通なのだろう。

うちでも、4部屋ある平屋を間貸ししていたが
いずれも家族または独身同士が3人くらいで寝泊りしていた。
一人暮らしは誰もいない。たいして広くない平屋に、常時10人以上が住んでいたのだ。

そんな生活でストレス溜まらない?と思わないでもないが
彼らを見ていると、なんだか楽しそうだ。
トイレ、キッチン、井戸(ここで水浴びや洗濯もする)は共同で
いつも誰かと何かを話しながら、料理をしたり洗濯をしたりしている。
部屋は狭いし家具もベッドくらいしかないから、昼寝以外はだいたい外にいて
何をするわけでもなく、誰かとのんびり過ごしているように見えた。

「ぎゅうぎゅう」が当たり前のカンボジア人は、ひとりぼっちの人をを見ると「かわいそう」と言う。
ひとりの楽しみなんて、考えたこともないのかもしれない。
そのせいか、カンボジア人は人好きで、近くに誰かがいれば屈託なく声をかける。
言葉のイマイチ通じない私にですら、近所の人たちはよく話しかけてくれた。
「ちょっとひとりにしてー」と思ったことも一度や二度ではないが
今ふり返ると、彼らのあたたかさが、じんわりと沁み入るのだ


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by toi-tom | 2018-04-12 14:35 | カンボジア | Comments(0)